国頭村をゆく(2)                                              トップへ
                                  国頭村をゆく(1)へ


2016年6月15日

 6月12日国頭の六ヵ字の踏査する。途中、大雨で国頭村辺士名で中止。19日の「やんばる学研究会」まで国頭村のムラの形を把握することに。近年、山原のムラ墓踏査で行政ムラとムラ墓との関わりから、近世以降の村(ムラ)に古琉球jのムラの形が見えてくる。そのことを見極めていくことに。2005.12.28(水)の記録を掲げ、再度踏査し補足する予定。

 特に〚国頭村史〛(宮城栄昌著)でムラの発達過程をマク(マキヨ)に視点にあてておられる。『大宜味村史〛(わったーシマ・本編)で遺跡・遺跡分布地→マク→古琉球のムラ→近世の村→字(アザ)の展開を考えてみた。国頭村でも、その展開を視野にいれて考えてみる。



8 国頭村宇良(すうとくまく)

 宇良は辺土名ノロの管轄村である。神アサギのある集落(ウンバーリ)の前方を東西に宇良川が流れる。宇良川の下流域にトゥマイガーと呼ばれるところがあり、トゥマイ(港)として利用されていた場所であろう。そこは山原船に木材、薪、炭などを積み込んだという。

 宇良の神アサギ内に二つの香炉が置かれている。本来神アサギに香炉はないが便宜的に置かれている。『琉球国由来記』(1713年)に宇良村に宇良村神アシアゲとトヒチャ神アシアゲの二つの神アサギが記されている。そして『琉球国高究帳』に「うら村 とへさ村」が併記されているので、とへさ(渡比謝)村は1713年以前に宇良村域に移動し統合されたものであろう。

 神アサギの二基の香炉は一つは宇良の御嶽とみられるシヌグイへ、もう一つはとへさ(渡比謝)村の故地(辺土名・奥間)に向けたもの。『琉球国由来記』の頃には宇良村に移動していたと見てよさそう。


▲香炉が二基ある宇良の神アサギへ       ▲屋号アガリか?


   ▲アガリの傍にあるカー          ▲神アサギ付近の集落

9 国頭村伊地(あしみなまく)

 伊地は辺土名ノロの管轄村である。ウンジャミのとき、伊地からスタートする。伊地川が流れ、ヒンバムーの傍を流れるラベラガー(ウンカー)と合流する。伊地川沿いは沖積地をなし、かつての水田地帯である。

 神アサギあたりは大部様相が変わってしまったようである。現在ある鳥居のすぐ後方にお宮と神アサギがあったようだが、鳥居の後方は広場となり、ヒンバムイの麓のあがったところにお宮と神アサギがつくられている。神アサギの向かって左側に舞台があり、さらに左側の川(ウンカー)沿いにカーと祠(イベ?)がある。

 伊地川の河口は水量が少ないせいか、海からの砂が打ち上げられ砂丘をなしている。河口は砂山でふさがれた状態である。国頭村の西側の字(アザ)は、直接冬の荒波をかぶるので、水量の少ない河口はほとんどがふさがれている。


  ▲後方の山がヒンバムイ(ウタキ)        ▲神アサギとお宮(右)


  ▲ヒンバムイの左側にあるカー      ▲ウガンガー沿いにある祠


  ▲ウガンガーと伊地川の合流地点       ▲伊地川の河口の様子


   (工事中)