名護市嘉陽                              トップへ




2010(平成22)2月9日(火)メモ

 久しぶりに外を歩いてみた。 人間ドッグ、それと運転免許証の更新。その後、時間があったので名護市の東海岸へ。瀬嵩・汀間・嘉陽・天仁屋と回ってみた。どの字も面白い。瀬嵩は神アサギが新しく建設されていて改めて調査することに。嘉陽について紹介するが、ウタキ(グスク)と集落の関係を見るモデルとなる村(ムラ)の一つである。

 東海岸に回ったのは、1673年以前の名護間切は名護湾域だけでなく、東海岸の旧久志間切域まで及んでいる。それは何故だろうか? 名護間切だけでなく、1673年の金武間切を分割して恩納間切を創設する以前の金武間切の領域と共通しているからである。それは首里王府が山原の間切域を決める理念があったように思われる。近世の間切を分割した時には沖縄本島の山手の稜線で東と西に分けている。それ以前の間切は西海岸から東海岸に及んでおり、コンパス型と表現しているのだが。

 嘉陽は1673年以前は名護間切域の村で『絵図郷村帳』と『琉球国高究帳』には「名護間切かやう村」とある。1673年に名護間切の東海岸の村と金武間切の一部で久志間切が創設される。『琉球国由来記』(1713年)で嘉陽(楊)村とある。嘉陽村に浜板敷嶽と嘉陽城嶽と嘉陽城所火神がある。

 「沖縄島諸祭神祝女類別表」には、嘉陽村に以下の拝所(五ヶ所)が記されている。
  ・神アサギ  ・根神火ノ神  ・ノロ殿内火神  ・城御嶽  ・浜御嶽

 ここで城御嶽とあるのはウイグスク(嘉陽グスク)、浜御嶽は『琉球国由来記』(1713年)の「浜板敷御嶽」、今でいうイリヌウタキ(ティンナウタキ)と見られる。二つのウタキからすると、嘉陽は少なくとも二つ以上の集団からなっているとみられる。城御嶽とあり、御嶽(ウタキ:杜)がウタキ、あるいはグスクと呼ばれる事例である。

 ウイグスク(嘉陽城嶽)の頂上部には「紀元二千六百年」の記念碑があり、ウタキを神社化してあり、神殿部分(本来ウタキのイベ)に何ヶ所かの拝所を合祀されている。神アサギはそこにあったのか?
 



 ▲嘉陽の集落付近から眺めた嘉陽城嶽(ウイグスク)   ▲ウイグスクへの階段道


    ▲ウイグスクの中腹あたりの道       ▲頂上部のテラス入口の鳥居


   ▲頂上部にある神殿や建立記念碑   ▲神殿内の香炉と火神        ▲火の神を祭った祠