今帰仁村平敷                           トップヘ



【ムラ・シマ講座平敷】(2012年10月10日)

 「山原のムラ・シマ講座」は、今帰仁村平敷である。下見で平敷の数ヶ所を踏査してみた。平敷については1987年7月9日付の調査記録がある。調査者は山内昌藤氏、玉城三郎氏、島袋満氏、談は仲里正吉氏である。四者とも今では故人である。当時、私も文化財保存調査委員をしていたこともあり、一緒に調査してきたメンバーである(当時、私は北山の歴史や運天の歴史や墓の調査を中心していた新米でした)。この調査記録は今では調査できないほど衰退しています。それで、当時の調査記録として全文紹介することにする。

【今帰仁村平敷】

 名  称:アサギ 異称:ピシチハサーギ
  所在地:字平敷運田原(1379〜13□□番地)
 立地・構造・変遷
  旧平敷売店の横の小経を北へ約150m位行くと、琉球松や広葉樹におわれ下草の茂る小
  高い森がある。入口にコンクリートの鳥居が立ち、中は広場になっていて、四つのコンクリ
  ートの小屋がある。この小屋はいずれも殿内と呼ばれている。北に北側に位置し、南に面
  したセメント葺きの家がアサギである。
  殿内は部落内のあちこちにあったのを1966年に現在の場所に移してきた。移された殿内は、
  ・シマダ(シマダチ)殿内は従来から現在の場所にあった。
  ・ウッチ(掟)殿内はアサギの50m南方仲里家裏から。
  ・ペーフ殿内はアサギの鳥居をすぐ左手から。
  ・大主殿内はアサギの100m位南の道傍島袋家(ヒチャングンチ〜ヒチャヌトゥンチ)の東側。
 それぞれ同時に移されている。

 ウタキ内の広場の南端にイビと言われて、一段高い場所に珊瑚石灰岩があり、拝所となっている所がある。陰陽石と思われる石が祀られている。
 アサギの森の東側に樹木が連なり平敷ガーがあり、南西方向ににはタチヌヘイと呼んでいる琉球松の大木が茂った広場がある。

主な年中祭祀

  旧暦4月15日
  嶽のお願い(四ヶ字のウガンという)の日にスムチナ御嶽のウガンから引き続いてアサギ内の各殿内において祭祀を行う。

 平敷は戦後(昭和30年代〜50年代)ユタの言によって小さな祠があちこちに建てられている。しかし近年祭る人も少なくなって扉は鍵がかかったまま放置されている。
 字の人々もこの状況に憂慮して字常会に於いて幾度か話し合いの議題になったこともある。
     (話者:仲里正吉氏)



  ・シマダ殿内…シマダチ殿内(ムラ立ちの人を祀るか)
  ・ペーフ・掟・大主の三ヶの殿内は部落内の各処にあったのを合祀した。
  ・ペーフ殿内…鳥居のそばから
  ・掟殿内 仲里正吉裏側から
  ・大主殿内…ヒチャングヌチの東から

※聞き逃し
   ・三つの殿内の合祀年
   ・ニーケーグラの祭の日について
   ・親神・女神とは
   ・シマダドゥンチに泊るというが、合祀以前もそうか。
   ・ニーケーグラ(鉄筋コンクリートスラブ建て
   祭祀 5月13日〜15日 神人は祭りのため衣類、クバ笠を新調する。夫婦相合もしない。
       13日午前10時、女神が先導する。人払いをする。あまり通る所人のいない道をえ
       らんで通る。
       神人はニーケーグラに泊る。親神と女神はシマダドゥンチに泊る。神人が用がある
       と声はかけずキセル等で床をトントンとたたく。音を聞いて女神が行って用をすま
       せる。

      14日字民はごちそうを作って慰問に来る
      14日の夜半
       島は日没後と夜半の梟(ユナハシコフ)が鳴き止むと神人は仏を浴びせる。仏とは何で
       あるかよくわかっていない。
       どのようにして浴びせたかも知らない。
      神人は14日に一時帰宅する。
      神田から(ジニンサにある)から稲を刈りて来て精米用の引き臼、突き臼や炊飯の一
      切を持ちこんで、ここで作業をする。
      15日 朝早く帰宅。
      現在神人はいない。
      最後の神人は越地のナビウイマヤーのばあさんだった。この人の死後絶えて古式
      の祭祀はしていない。
      15日 字民がやって来て祭祀をする。

    ・拝所の管理者
     与那嶺林清 平敷の本家(モートーヤー)で先祖代々神職をつとめて来た。
     仲村家 仲村文(故人)の父は男神だった。
     
    マチヌヘイ
      字の大勢の人が集まる時の集会所/与那原への遥拝所(仲里庄吉)香炉あり、原石
      の破片を利用
     平敷ガー
       5月15日のカーウガミの時だけ
 
 【嶽のウガンの拝所】(旧4月15日)
     ・シマダ殿内 ・ペーフ殿内 ・掟殿掟 ・大主殿内 ・ニーケーグラ ・イビ
     玉城ノロが平敷に来る時
       ピャーマチ(謝名の上手名)までタイマツを持って迎えに行った。タイマツの火が飛び
      火して甘蔗畑を焼いて
       以後堤燈に変わった。現在行われていない。
     ペーフ 二人いた。一人はマイペーフ(四ヶ字を廻った)、一人は字内のペーフ
    ・これらの拝所の他に近年個人的に建てた拝所が字内に七ヶ所ある。
    ・ペーフ殿内の上段に二ヶあるのは個人が祀っている。


 
 ▲平敷の神アサギ      ▲合祀(ペーフ殿内・掟殿内・大主殿内)     ▲ニーケーグラ

2003.1.24(金)メモ

 平敷で行われていたシグ。シグが行われていた平敷の御嶽までいってきた。そこでシグが行われていたのかと場所の確認。お宮を出て行く場面があるが、お宮は鳥居のことでしょう。そこでシュク(スク)の豊漁願いをした場所だということ。それがわかると平敷の神アサギやナーが不思議とまた違った視点で見たり語ったりする場になった。天底や上運天、さらに古宇利島のサーザーウェー(ピローシ)をこれまでとは異なった視点と複数の祭祀を海神祭同様一つにまとめようとした痕跡がそこにも見ることができる。一生忘れることのできない場所となりそうだ。

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   ▲シグの時出て行くお宮(鳥居)        ▲シグが行われた平敷のアサギナー