今帰仁村湧川                 トップへ

 ・今帰仁村湧川の按司道沿いの香炉 ・今帰仁上り(新里家)


今帰仁村湧川の按司道沿いの香炉

 今帰仁村湧川に按司道(あじみち)があり、そこにカー(湧泉)跡がある。池の側に6基の香炉が置かれ、按司道と香炉、そしてカー。どのような関係にあるのか興味深い。調査してみることに。

 付近の様子を述べると、すぐ近くに新里家がある。それと湧川の村の創設は1738年である。そして寄留士族が過半数を占めている。また、豊年祭の時、メンビャの広場で棒と路次楽と奉納踊りが行われる。そこでの演舞が終わると、香炉のあるカーの側(按司道)を通り、獅子小屋へ向かう。

 これまでの香炉の調査は按司が薩州や江戸立など上国の時、随行していった奉公人が村(ムラ)の御嶽(ウタキ)のイベや遥拝場所に寄進する例が散見できる。銘の判読ができれば手がかりになるのであるが・・・。

 路次楽で江戸立に随行して行った役人達の寄進か。


      ▲按司道沿いのカー側の香炉         ▲按司道沿いのカー(そこに6基の香炉)


  ▲棒や路次楽や奉納踊が行われるメンピャー


【今帰仁上り(新里家)】(2010年3月5日)

 「今帰仁上り」(拝み)でどうしても外すことができないのが今帰仁村湧川の新里屋である。そのこともあって新里屋の調査をすることに。その日も何組かの方々が訪ねてきた。「そこは昔から拝んでいるのですが、どういうところですか?」と逆に聞かれる始末。掲げてある系図の説明をしてくれる方もいらっしゃるが、理解できず。そのことが、新里屋を拝みやってくる理由なのかもしれない。少しは説明がつくように調べてみることに(管理されている仲里さんに感謝)。

 避けては通れないテーマの一つ。驚かされるのは8基?の位牌である。「今帰仁上り」や「東廻り」などの神拝の資料(家文書)に目を通していると興味深いことがわかる。家文書に出てくる、その家の歴史(野史)で書きつづられていることが史実なのかどうか。その視点で見て行くと、その多くが史実とは言えない資料群である。もう一方で、史実かどうかとは別に野史に登場している場所場所を何故拝むのだろうかとの疑問。疑問を持ちながらも、元祖が関わった場所だというコース。

 野史の部分を史実かどうかを追いかけるのか。史実とは別にそれぞれの一門で行っている「今帰仁上り」などの現象。伝統的に行っている現象が亡くなると「琉球の姿」を失っていくことでもある。
 

 
                ▲新里家と離れの拝所


                     ▲新里家の火神や位牌や図像など

 
 ▲北山按司の位牌    ▲太子大君 開山長老の位牌
      ▲湧川奴留之元祖位牌  


▲思次良湧川按司長男などの位牌    ▲新里筑登之等の位牌      ▲新里大主の位牌      

 
  ▲今帰仁之子思次郎等の位牌      ▲(撮影不良)