今年は呉我まで。呉我に気にいった長閑なカー(ビーガー)があり、正月の若水を汲みに来る方が今でもいるのか(途中で気づいたが、それは旧正なのだ)。ビーガーは清掃され水を汲む柄杓が供えてあった。側にハミダー(神田)があるが、田植えはもう行っていないようだ。旧暦の二月の大安にビーダウグヮンが行われる。
途中、呉我の神アサギに立ち寄るとムラの方々がアサギナーにゴザを敷いて新年の祈願祭が行われていた。古宇利島でも新年のウガンをお宮の前でやっているようだが、名護市呉我でも行っている。
呉我の集落の後方の鍛冶屋原(カンジャーバル)までいく。『沖縄県国頭郡志』に、
呉我の後方に鍛冶屋原があり、古へ官立の鍛冶職を置きたる所
なり。元各間切の農具は官給にして人民は、その代償として一定
の租税を納めたりしが、後更めて各間切に鍛冶職を置き、而して
人民の利便を図れり。県下各地にカンヂャーヤー原といえる地名、
あるいは多くの其の跡地なりという。寛文九年(1667)十二月三十
日附御教書の一節にいう。
此中諸間切遣候、鍬、へら、はいし賃として百姓一人に付米一升五合づつ相掛、
半分は公儀半分は鍛冶細工へ相納候処、百姓疲申候付未之春頃右出米差免、諸
間切へ鍛冶細工二人づつ立置、夫引合相定候事
とある。呉我は1736年に今帰仁間切地内から現在地に移動した村である。上の文書(1667年)と呉我村(1736年に移動)の鍛冶屋の成立とは時代が異なる。1736年以降に呉我村に鍛冶屋が置かれたことに因んだ原名なのであろう。果たして鍛冶屋跡地を見つけることができるか?
新持地数 | 旧持地数 | 変更の事由 | 番地身分屋号 | 氏 名 |
壱地五分 | 弐地五分 | 配当ヲ受クベキ人員ノ減少セシニ依ル | 一番地平民蔵原屋 | 親川平三郎 |
三地五分 | 四 地 | 配当ヲ受クベキ人員ノ減少セシニ依ル | 三番地平民舛取屋 | 島袋善三郎 |
弐 地 | 参 地 | 仝 上 | 四番地平民□門 | 島袋善太郎 |
弐地七分 | 壱地五分 | 配当ヲ受クベキ人員ノ増加セシニ依ル | 五番地平民上里屋 | 上里角次郎 |
弐地五分 | 弐 地 | 仝 上 | 六番地平民ヨガフ屋 | 与那嶺豊三郎 |
壱地五分 | 雇人ノ配当地ハ其雇主ニ配当セシモ今回ハ本人ニ配当セシニ依ル | 七番地平民宮里屋小 | 宮里吉蔵 | |
弐地四分 | 壱 地 | 配当ヲ受クベキ人員ノ増加セシニ依ル | 九番地平民宮平屋 | 宮平林三 |